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タイトル
緑の絆

吉田

東日本大震災において、亡くなられた方々に追悼の意を表し、

お悔やみ申し上げます。

そして、被害に遭われた多くの皆様に謹んでお見舞い申し上げます。


2011年3月11日、東北地方太平洋沖を震源とした東日本大震災が発生しました。

この地震により、場所によっては波高10m以上、最大遡上高40.1mにも上る

巨大な津波が発生し、東北地方と関東地方の太平洋沿岸部に壊滅的な被害が

発生しました。

また、巨大津波以外にも、地震の揺れや液状化現象、地盤沈下、ダムの決壊

などによって、北海道南岸から東北を経て東京湾を含む関東南部に至る

広大な範囲で被害が発生し、各種インフラが寸断されました。

あれから8年。

当時の状況は、8年を経た今でも決して脳裏から離れることはありません。

この8年の間、被災地では多くの人々が復旧・復興に向けての努力を

続けてきました。

その結果、住宅の再建や生活環境の整備、産業の再生など、着実に復興の歩みは

進んでいます。


被災地のいま!

東日本大震災の被災地から、復旧・復興、被災地の未来を創るための

取り組み(其の一)。

被災地の発展のための取り組みをご紹介します。


あの日、宮城県山元町の沿岸部は、東日本大震災の津波で壊滅的な被害を

受けました。

周辺の田園風景はがれきに埋もれ、荒れ果てた姿を目にすると言葉がありません。

緑の絆


この壊滅的な被害を受けた山元町の農地で芝生が生産されていることを

ご存じでしょうか。

芝生の生産をしているのは、東日本復興芝生生産事業株式会社です。

同社は2013年4月に一般社団法人日本運動施設建設業協会 東北支部に所属する

メンバーと農業者の共同出資で設立され、現在は大坪征一社長をはじめとする

役員6名と従業員11名で構成されています。

事務所は、大坪社長の実家があった場所にあり、津波被害で全壊した大坪社長の

実家の一角を修復された建物だそうです。

緑の絆


今回は、同社の取締役 田原健一 氏にお話しを伺うことができました。

緑の絆


まず、田原氏に芝生生産事業立ち上げの理由を聞くと

「津波で傷ついた農地を緑の大地に変えて古里に恩返ししたいという大坪社長の

熱意と、もともと芝生に携わっていたメンバーが集まったことです。」

と言います。

津波で浸水したこの土地では塩害除去を行わなければ作物は育ちません。

そこでミネラルを必要とする芝生なら…と芝生を栽培するアイディアが

生まれたそうです。

田原氏らは、塩害に強い競技場などのスポーツターフで採用される

ティフトン芝の種を大坪社長の実家跡など約1,000平方メートルに

試験的にまいて、生育を確認したそうです。

皮肉にも周囲に日光をさえぎるものがなかったことも幸いし、

芝生は育ったそうです。

これが復興芝生産事業のはじまりです。


宮城県沿岸部の市町では、災害に強いまちづくりを目指して住宅地を高台移転し、

海側エリアを産業・農地エリアとして復興計画を進めています。

同社がある沿岸地域は危険第一区域に指定され、農地として利活用が

進められているエリアです。

山元町はそのエリアに農地約400ヘクタールの集約を計画しています。

同社は、この農地15ヘクタールで芝生を生産しており、

今後30ヘクタールぐらいまで広げていく予定だそうです。

田原氏は「復興事業は、約400ヘクタールある広大な農地をどれだけ有効活用する

かが重要です。芝生生産には面積が必要なため広大な土地活用ができます。

そして、地元の人々の雇用拡大にもつながればと思っています。

震災で仕事を失った人もいますからね。」と芝生生産事業の意義を語られました。

また、「山元町は宮城県でも温暖で雪が少なく、日照時間が一番長いので

芝生の生産には適していると思います。震災前は、東北・関東の芝生の7割が

茨城県産でした。震災後、復興事業で茨城県の芝生が不足したこともあり、

生産を軌道に乗せて地産地消、さらには全国へ“復興芝”のお届けをしたい

と思います。」と期待を膨らませていらっしゃいます。

現在、“復興芝”は東北の復興事業(復興祈念公園、避難の丘、かさ上げ

道路など)で使用されるだけでなく、「ラグビーワールドカップ2019」

「2020東京オリンピック」の会場にも届けられています。

被災地東北から届けられた“復興芝”の上で、世界大会のトップアスリートたちが

活躍する日も間近です。

緑の絆


最後に「震災後の光景は、まさに地獄でした。しかし、現実逃避は

できませんでした。生きていかなければなりませんからね。それから、

現実を見るようになりましたね。そして、可能性を信じて夢を追いかけるように

なったかもしれません。精神的に強く、前向きになりました。」と震災後の心境を

語ってくださる田原氏の言葉にはとても重みがありました。

さらに、新しい東北(山元町)の魅力を「イチゴやホッキ貝だけでなく、

“復興芝”を山元町の名産品に加えたいですね。みんな誇りを持って、

協力してやっていますから…。」と話す姿は誇らしげで、力強さがありました。


東日本大震災から8年、復旧・復興が終わることはありません。

山元町をはじめとする東北地方の一日も早い復興と今後の発展を

お祈り申し上げます。

“復興はまだこれから!”

(2019年3月27日)

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