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緑の絆

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海岸の案内人


種差海岸は、青森県八戸市中心部から車で約20分、

太平洋に面した美しい海岸である。 八戸市よりカーナビに従って

県道1号線を南下していくと、徐々に山が開け、海が見えてくる。

そして、そのうち青い海と美しい芝生の緑のコントラストが出現する。

そこが種差海岸だ。

ここには天然の芝地が広がっている。

一見、ゴルフ場のフェアウェイを思わせる広さと美しさだ。

誰もが足を止めて見入るに違いない。

種差海岸インフォメーションセンターは、県道を挟んだ対岸に

この芝地を見下ろすように建てられている。


被災地のいま!

今回、この種差海岸を守り、その魅力を訪れる人々に語り続けてきた

種差観光協会の柳沢卓美会長にお話を伺った。

種差観光協会の柳沢卓美会長

柳沢会長は、インフォメーションセンターの人気メニューのひとつである

海岸周辺の散策コース、もしくはトレッキングコースの案内役も務める。

海岸の植生、飛来してくる海鳥たち、柳沢会長は何でも知っている。

訪れる観光客は、その目で種差の美しさを感じ、

耳でその成り立ちを知ることになる。


柳沢会長は、種差海岸のすぐ脇で長い間商店を営んできた。

今は、それに加えて種差キャンプ場の運営管理や取材の協力、ガイドも

やっている。


海沿いに天然の芝地は少ない。

実は、種差海岸のこの芝地が何故できたのか?不思議だった。

そんな我々に質問に柳沢会長は丁寧に答えてくれた。


ここは昔、馬の放牧場だったというのだ。

戦前の話で、馬が農機具の替わりとして使われていた頃まで遡る。

当時はまだ道路も鉄道も無く、芝地はもっと大きくて、

多くの馬が放牧されていたという。

当時、種差の辺りは畑が広がっていたそうで、馬は農作業で貴重な

役割を果たしていた。 しかし、戦後の道路や鉄道整備などで

芝地は小さくなった。また、農機具も発達してきて馬による

農作業も減ってきた。

そして、いつの間にか放牧は無くなり、芝地だけが残された。


海岸の北にはキャンプ場も作られていて、関東などからのお客様も

種差のキャンプ場を目指してやってくる。

最近は、インフォメーションセンターのPR効果もあって外国からの

訪問客も多いのだそうだ。

そして、多くの外国人も種差の美しさに感動していくのである。

種差海岸の芝

柳沢会長のお店には、鳥観図で有名な吉田初三郎の当時の

住宅のモデルが展示されている。

種差は多くの文化人にも愛された。

東山魁夷や司馬遼太郎も種差の美しさに魅せられた人たちだ。

吉田初三郎の当時の住宅のモデル

東日本大震災では、漁港の倉庫や船が全部流され、

近くの民家も1階が浸水した。

芝生も一部が波を被ったが、植物たちは元気に花を咲かせてくれた。

危機一髪の人もいたが、幸い人的な被害はなかったので、復興は早かった。


しかし、ここから南へは津波による大きな被害があった被災地に続いている。

現在、柳沢会長はインフォメーションセンターや

自ら率いる観光協会において、美しい景観と自然の動植物が

生きるこの種差海岸の語り部として多くの訪問者を迎え入れている。


「まず種差の美しさを知ってもらい。ここから続く

三陸海岸へ人々の関心を持ってもらいたい。

そして、各々が“何ができるか?”考えてもらいたい!」

と柳沢会長は話す。


今日も柳沢会長は、芝地に立ち、

訪れる人たちに種差の美しさを伝え続けている。

(2019年12月26日)

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